不義而富且貴、於我如浮雲

私の出身大学(都立大中文科。今は消滅)の遠い先輩に当たる中国文学者・守屋洋先生がその著書『中国古典一日一言』の中で、本日11月9日の言葉として『論語』述而(じゅつじ)篇の以下の文を載せている。

不義而富且貴、於我如浮雲(不正なことをして金や地位を手に入れ、派手な暮らしをするのは、わたしからみれば空に浮かぶ雲みたいなものだ)

「浮雲(空に浮かぶ雲)」は自分にとっては全く関係ないもの、というような意味。この文の前には「たとえ貧乏暮らしでもその中に楽しみがあるものだ」というような内容の文がある。

孔子は金や地位(権力)を追求するのにも正しい方法があるという。正しい方法に基づいて金・地位を手に入れるのでなければ何の意味もない、貧乏暮らしをしていた方がマシという。

先週末にハミングホール(東大和市民会館)で集会に参加した時、母子家庭や高齢者世帯を中心に、貧困家庭が広がっているという話が出た。今日本では「貧困」というものがまたクローズアップされるようになってきている。

孔子はその人生の中で食べるものもろくにないような困窮した状況に陥ることが多々あった。そんな体験をした孔子だが富もうが貧しかろうがどんな状況になっても変わらない心持ち(理想)を保ってさえいれば、人生それなりに楽しめるという。

貧困は社会的に解決されねばならない問題だが、はるか昔から現在に至るまでなくならないのもまた事実。だから孔子の言葉を記憶の片隅に置いておく必要はあると思う。

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