孔子の友人

中国のテレビドラマ『手机(携帯電話)』第25話の中に、『論語』の一句を解釈した面白い説が出てくる(6分過ぎあたりから)。その説はテレビ番組の司会者・厳守一がゲストの作家・劉震雲に『論語』学而篇の冒頭の非常に有名な一句

有朋自遠方来、不亦楽乎。

をどう解釈するのかを尋ねるシーンに登場する。この一句は通説では、

だれか友だちが遠いところからたずねて来る、いかにも楽しいことだね。 金谷治『論語』、岩波文庫より〕

と解釈されている。つまり、普段なかなか会えない友人と再会し語り合えたときの喜びを表した句と解釈されている。ところが劉震雲はこの一句を

(周りに信頼できる真の友だちがいないので)信頼できる真の友だちがどこか遠いところからやって来る、そうなれば楽しいじゃないか…

というふうに解釈するのだ。つまり周りに信頼できる友人がいないことを孔子が嘆いた句と解釈するわけだ。

この解釈方法はある意味現代的だ。というのも通説の解釈の仕方はもうあまり現代人の心に響きにくくなっているからだ。今はすでに世界中どこでもネットに接続し、どんなに遠方の友人とでも気軽に対面し会話できる時代だ。こうなると友人と久しぶりに直接会った時の感激は我々にとって極めて薄くなってくるのは当然だ。

その反面、劉震雲の解釈だとネットフレンドのような「友人」はそれこそたくさんいるけれど、いざというときに本当に当てにできる友人は自分にどれだけいるんだろうかといような現代人が抱えるある種の不安感・孤独感を代弁したような句になる。

こうした創造的な解釈ができるのが『論語』の面白さでもある。

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