これを知る者はこれを好む者に如(し)かず

今、自分が関わる組織の衰亡と勃興を見ている。衰亡する方の組織は経営者がデタラメで現場で働くスタッフがもうやってらんない、という風になってしまった。経営者が播いた火の種で起こった火事の始末を終始部下がするという感じ。どんなに部下が頑張っても経営者の能力があまりに低いと組織は回らないことを理解した。

さて、『論語』雍也篇に、

子曰、知之者不如好之者。好之者不如楽之者。

先生がいわれた、「知っているというのは好むには及ばない。好むというのは楽しむのには及ばない。」(金谷治『論語』、岩波文庫、より)

という文章がある。その経営者は会社で「努力してこなかった」というわけでは決してない。ただ彼は自分の組織(仕事)に対する興味・関心があまりに薄すぎた。自分の仕事に興味・関心が低い(=自分の仕事を好まない)と、その人が主観的にどんなに頑張ったところで傍目には「いい加減、なあなあ」なパフォーマンスをしているようにしか映らない。これは一種の悲劇で、周りも不幸になる。

これに対して、勃興する方の組織はまだ計画の段階なのだけれども、創立から(深く)関わってくれないか、という依頼が私にあった。ただいかんせん、その組織(仕事)に対して私は「知的」興味・関心はあるけれども、それ以上ではない。将来的に「これを知る者」にはなれるかも知れないけど、「これを好む者」にはなれそうにない。

なので恐らく任された仕事をやれば「それなりに」こなせるだろうけど、「これを好む者」たちにはどんどん追い抜いて行かれるだろう。そんなわけで、もし関わるとするならば「限定的な関わり方」にして欲しいという意向を伝えた。

そんな状況の中、今朝また電話で友人から全く別の仕事の依頼があった。将来的には大学で学んだこと(中国古典・中国語)を活かせる仕事がしたいと考えているので、そのための近道になるかどうかを勘案してから決めたいと思う…

●先週金曜日の昼食「すきやき定食」(華屋与兵衛で)
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