品格はいつ磨かれる?

品格というものはいつ磨かれ、そしてその人物に備わるようになるのだろうか?この問いに関し、中国古典『菜根譚』には次のような一節がある。

あばら屋でもきれいに庭を掃除し、貧しい女もきれいに髪をとかしておれば、外見はあでやかに美しいとは言えないまでも、品格は自然に趣を得てくるものである。そこで一人前の男として、万一、困窮の憂いや失意の悲しみに落ちたときでも、どうしてそれですぐ、自分から投げやりになってよかろうか。(『菜根譚』(岩波文庫)より)

生活が困窮し、将来の展望も見えないようなときには確かに「品格」や「修養」がどうのこうのなど言ってられなくなる。しかし本当に大切なのはまさしくそうした逆境に陥ったときで、そこで取り乱してしまっては所詮それまでの人、つまり安楽な環境でしか自分を保っていられない人になる。その人が一人前の品格を身につけた人物か否かはその人が逆境に陥ったときどのように振る舞うかで決まるのだ。

だからもしも自分が逆境に陥ったらそれはその人の品格を一段高めるよい機会だと思って頑張ってみることも必要なのかもしれない。

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