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陶弘景の平常心を保て!成功はそれからだ…

現在、帰国して中国就労ビザの取得手続き中だ。少々専門的な話になるが、中国就労ビザを取得する前段階作業として、『外国人来華工作許可証というものを発行しなければならず、そのためには私の場合は、警視庁でまず犯罪経歴証明(渡航証明)』を発行してもらい、それをさらに外務省まで持って行って「認証」してもらわなければならない。

しかし、前回の手続きの際は、「外務省での認証手続き」を知らず、外務省に行く前に警視庁が出した犯罪経歴証明の封筒を開封してしまったので、認証手続きができなくなってしまった……現在は再度警視庁で犯罪記録証明の発行手続きを行っている。

さて、最近『獵場(狩場)』という中国のテレビドラマを見ている。同作品は、上海出身の人気俳優・胡歌(フー・ゴー)が主演を務める。彼が演じる「鄭秋冬」はねずみ講の犯罪に加担して投獄され、出獄後にまた身分偽造の罪で懲戒解雇されるという(究極の?)挫折を味わうが、それでもめげずにヘッドハンティング(人材派遣)会社を立ち上げて徐々にのし上がっていく。

(出典:https://baike.baidu.com/pic/%E7%8C%8E%E5%9C%BA/15388743)

その第8話でこんなシーンがある。鄭秋冬は出獄後、「生まれ変わった人生」を歩むために他人の身分証を使って別人の「覃飛(チンフェイ)」という人物になりすまし、山谷グループという大企業へ再就職を果たす。しかし、この身分偽造はあえなくばれ、鄭秋冬は懲戒解雇され、会社のブラックリストにもその名前が登録されてしまう。

鄭秋冬は失意の中、かつて獄中でお世話になった恩師で、現在も服役中の元ヘッドハンター・劉量体(孫紅雷(スン・ホンレイ)が演じる)に面会に行く。そこで恩師・劉量体は誤った手段で成功を急ぐ鄭秋冬をたしなめながら、中国南北朝時代の道士・陶弘景(とう こうけい。5~6世紀)のエピソードを紹介する。

陶弘景という人物は20歳の頃、南斉の高帝に招聘されて仕官したが、36歳のときに職を辞し、以後は山の中で多様な研究活動や弟子の指導を行った。梁の武帝は陶弘景の才能を愛し、たびたび彼と書簡を交わしたので、後に陶弘景は「山中宰相」とも呼ばれるようになった。


(出典:https://baike.baidu.com/pic/%E9%99%B6%E5%BC%98%E6%99%AF/819982)

陶 弘景の隠遁後、当時の皇帝は彼の才を惜しみ、たびたび近況を聞き、再仕官を促すようなこともあった。それに対して陶弘景は次のような詩で答えている。

山中何所有 嶺上多白雲

只可自怡悅 不堪持贈君

「山中に何があるのか」とお尋ねになりますが、峰からはたくさんの白い雲が見渡せ、すばらしい風景を味わうことができます。

ただこの風景はここ山の中で自分でしか味わえないもので、陛下のところまでお届けすることはできません…

この詩は陶弘景が暗に再仕官の勧めを断る内容のものになっている。劉量体はこの陶弘景のエピソードをもちだし、鄭秋冬に「能力が高いことは成功にとって重要だが、しかしもっと大切なのは陶弘景のような『平常心』を保つことだ」と説く。もし陶弘景のような「平常心」を常時保てるようになれば、出世するかしないか、成功するかしないかで心を過度に乱し、一喜一憂することもなくなる。

『獵場』では鄭秋冬はこの後、元の自分の身分「鄭秋冬」を回復し、首都・北京を離れて南の新天地・杭州に向かい、現地で小さな人材派遣会社をオープンさせ再起を目指していくことなる…

(出典:https://www.youtube.com/watch?v=6ndP6EFY6Do)

諱疾忌医(きしつきい)ー中国の故事成語

諱疾忌医(きしつきい)

「諱(き)」と「忌(き)」は両方とも「かばいかくす」「はばかり避ける」という意味。「疾」は病気、「医」は医者を表す。直訳すると「病気をかばいかくし、医者を遠ざける」という意味になるが、自分の過ちをおおいかくし、他人からの忠告に耳をかさない、という文脈で使用されることが多い。

「諱疾忌医」という成語の出典は中国北宋時代の儒学者・周敦頤(しゅうとんい)の著書『周書』(『周子通書』)。周敦頤は紀元十一世紀頃の人で儒学史においては重要な人物。

また中国古典『韓非子』には「諱疾忌医」に関連した次のような名医と国王とのエピソードが語られている。

戦国時代に扁鵲(へんじゃく)という名医がいた。ある時扁鵲は蔡の国の国王・桓公(かんこう)に謁見した。扁鵲は桓公の前で国王の皮膚に病気があると語り、早期に治療をするように勧めたが桓公は喜ばず、聞き入れなかった。

十日後、扁鵲はまた桓公に会い、皮膚と筋肉の間にまで病気が進行していると忠告したが、桓公はやはり取り合わなかった。さらに十日後扁鵲は桓公に胃や腸にまで病気が進んでいる、と説いたが、国王の態度は変わらなかった。

扁鵲が桓公に四度目の謁見をした時には、扁鵲は国王の姿を見ただけで何も言わずその場を立ち去った。桓公が不思議に思って使いの者を派遣し、理由を尋ねてみると、扁鵲は「国王の病気はどんな治療をしてももはや手遅れの状態になってしまった」と語った。

果たして数日後に桓公の体が痛み始め、国王は扁鵲を探させたが、扁鵲はもはや秦の国へ逃がれた後だった。桓公はそのまま亡くなった。

『韓非子』ではこの故事を利用して、大きな災(わざわ)いには必ず小さな兆しがあるので、為政者はその微かな兆しを見失わず、早めの処置を取ることが肝心だと説いている。

(https://www.youtube.com/watch?v=FQA9e-y3mNI)

孔子は父母を老人ホームへ入れた者を「不孝」とするか?

儒学の開祖・孔子はその教えで「父母への孝(孝行)」を説いており、現代の中国でも親の面倒は子どもが見るべきだという意識(規範)が強いため、「体が弱ってきた父母を老人ホーム(養老院)へ入れる」などと主張すると「不孝者」と見なされてしまうかもしれない。

中国で親の面倒は子どもが見るべきという意識が強固なのは、年金などの社会保障制度がまだ不十分で介護施設も整備されていないという事情があるだろう。その点、日本ではホテル並みに豪華な老人ホームも次々に建設され、介護施設と医療機関との連携も大分進んでいるので父母を老人ホームに入所させたからと言って直ちに「不孝者」と後ろ指を指されるようなことは(都会では)随分少なくなってきている。

金銭的に余裕があって、よい(レベルの高い)介護施設に親を入所させられるような子どもはむしろ「孝行(息子・娘)」だと言えるのかもしれない。無論、たとえ親をサービスの行き届いた介護施設に入所させてもそれ以降ぱったりその施設に訪問をしなくなるような子どもは「不孝」となるだろうが…

結論を述べると、孔子が現在の日本に生きていたら子どもが両親を老人ホームへ入所させたからと言ってそれをすぐに「不孝」だとはしないと思う。理想的な介護を受けられる施設であればそれはそれで介護技術の低い子どもが世話をするよりいい面もあるわけだから。ただし両親を施設に預けた後、彼らを思うことがなくなり、コミュニケーションも取ることがなくなるような子どもはやはり「不孝」だと孔子は言うだろう。