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大学の道は…

中国古典の中に「修己治人(しゅうこちじん。自らの道徳を磨き万民を統治する)」の教えを説いた『大学』というテキストがあり、今日はその冒頭部分をあらためて読んでみた。『大学』の冒頭にはこのような一節がある。

大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善。

大学で学問の総しあげとして学ぶべきことは、輝かしい徳を身につけてそれを〔世界にむけてさらに〕輝かせることであり、〔そうした実践を通して〕民衆が親しみ睦みあうようにすることであり、こうしていつも最高善の境地にふみ止(とど)まることである。
【金谷治訳注『大学・中庸』岩波文庫より】

これは古代中国における大学教育のあり方を説いているので、現在の大学教育にはあまり意味のない教えなのかもしれない。とはいえ、大学で学ぶべき事柄として、自分の人生を充実させるということだけでなく、同時に「民衆が親しみ睦みあうようにする」つまり「他人や社会を幸せにする」ということも挙げられているのはさすがに見識が高いと思う。

私は20代の10年間ほぼ全て東京の大学に在籍していたが、その後の人生では残念ながら、大学で学んだ事柄でまだ世界の人々を幸せにさせられていないし、自分の人生すら十分に充実させられていない。なので、今後は大学で学んだ事柄をもっと有効活用させられるような生き方をしていきたいと思う。

蛭子能収『蛭子の論語―自由に生きるためのヒント』読了

蛭子能収(えびす よしかず)『蛭子の論語―自由に生きるためのヒント』(角川新書、2015年)を読み終えた。蛭子さんは1947年生まれで著名な漫画家・タレント。

蛭子さんは2014年に『ひとりぼっちを笑うな』(角川新書)という本を出してヒットさせているが、その後同書の編集者から「蛭子さんの考えは孔子さんの思想に通じるものがある」ということで「次は『論語』を読んでみませんか?」という連絡(依頼)があったそうだ。蛭子さんは最初「えっ? ロンゴ? 何ですかね、それ?」という感じで意味も分からなかったそうだが、最終的に依頼を断りきれず(しぶしぶ)本を出すことになったという(笑)。

蛭子さんは中国思想はもちろん全く門外漢なので、『蛭子の論語』には孔子の思想や『論語』の内容について立ち入った記述はほとんどない。本書は『論語』からのフレーズを借りて「蛭子さんの思想」が語られるといった構成になっている。ただし、蛭子さんが『論語』のフレーズに対して違和感を感じたところは、その持論がところどころ展開されていてなかなか面白い。

さて、蛭子さんにとって最も大切な人生の信条は「『自由』であること」(p154)だという。しかし、同時に「自由に過ごすためには、やっぱりお金がいる」(p166)ということも十分自覚しており、「僕は、とにもかくにもお金を信じる”現実主義者”」(p187)だと語る。蛭子さんは贅沢には全然興味が無いものの、70歳が見える年齢になった今も「お金からはなかなか自由になれない(老後の生活不安)」(p165)と感じて仕事がある限り働き続けようとしている。

『論語』にはこうした「お金」の問題を正面から論じた記述はほとんどないが、蛭子さんのような悩みを抱える人に対し、孔子なら今どうやって声をかけるだろうか…

加藤徹『本当は危ない「論語」』読了

加藤徹『本当は危ない「論語」』(NHK出版新書、2011年)を読了した。著者は1963年東京都生まれ。東大で中国文学を専攻、現在(執筆時点)は明治大学法学部教授。

著者によると「本書は、読者が自分の目で『論語』を読む(あるいは読み直す)ための、補助的な解説書」(「はじめに」より)にしたとあり、その章立ては次のようになっている。

第1章 『論語』誕生
第2章 孔子の謎
第3章 危うい『論語』の読み方
第4章 革命の書『論語』と日本人

本書は『論語』そのものの「内容解説」に重心を置いて書かれたというより、「『論語』の読まれ方の歴史」を解説することを目指して書かれた一書と言えるだろう。したがって、『論語』の内容についてよく知りたいという方が読むと、話が大分脇道にそれていく、という印象を受けるかもしれない。

本書を読んで共感した点を一つ挙げると、著者が改めて『論語』には「意味不明の句」が多いと指摘し、「原『論語』の述作者が誰かは不明だが、文章能力はそれほど高くなかったようだ」と主張している部分だ。

『論語』というのは、後の中国古典と比べると完成度があまり高くなく、ところどころ意味不明の句やどうとでもとれる文章が出現する。文章全体の配列もさほど意味があるとは思われない。これは明らかに時代によるもので、その編纂過程が非常に複雑だったからだろう(「第1章  『論語』誕生」参照)。しかし、こうした『論語』特有の原始的な「素朴さ」が後の中国古典には少ないある種の「親しみやすさ」を生んでいるのも確かだ。『論語』は未完成ゆえに可能性を秘めているテキストなのかもしれない。