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過ちては則ち改むるに憚ること勿れ(過則勿憚改)

居酒屋「和民」で2008年に起きた当時26歳の女性店員が過労自殺した事件で、今日(12/8)法廷で遺族と会社側の和解が成立したそうだ。

そこで当時のワタミグループ代表取締役だった渡邉美樹参議院議員は、今日公式フェイスブックページを更新して反省のコメントを発表したが、そのコメントの最後の言葉を『論語』学而篇からの次の引用文で締めくくっている(参照:弁護士ドットコム)。

過ちては則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ(過則勿憚改

この句の大意は「過ちを犯したら(謝罪や反省を)躊躇(ためら)ってはいけない、すぐに行いを改めるべきだ」というもの。しかし事件発生からすでに8年が経過している。渡邉氏は少々「憚り」すぎたんじゃなかろうか。

さて『論語』里仁篇には次のような文もある。

子曰、人之過也、各於其黨。觀過、斯知仁矣。

先生(孔子)が言った、人が過ちを犯す時には、それぞれその種類(段階)に応じて過ちを犯す。犯した過ちを見れば、その人の人間性(仁)が分かる。

今回の事件は渡邉氏の人間性(仁)が今どれほどのもの(程度)なのか、図らずも露呈してしまったような気がする。

不義而富且貴、於我如浮雲

私の出身大学(都立大中文科。今は消滅)の遠い先輩に当たる中国文学者・守屋洋先生がその著書『中国古典一日一言』の中で、本日11月9日の言葉として『論語』述而(じゅつじ)篇の以下の文を載せている。

不義而富且貴、於我如浮雲(不正なことをして金や地位を手に入れ、派手な暮らしをするのは、わたしからみれば空に浮かぶ雲みたいなものだ)

「浮雲(空に浮かぶ雲)」は自分にとっては全く関係ないもの、というような意味。この文の前には「たとえ貧乏暮らしでもその中に楽しみがあるものだ」というような内容の文がある。

孔子は金や地位(権力)を追求するのにも正しい方法があるという。正しい方法に基づいて金・地位を手に入れるのでなければ何の意味もない、貧乏暮らしをしていた方がマシという。

先週末にハミングホール(東大和市民会館)で集会に参加した時、母子家庭や高齢者世帯を中心に、貧困家庭が広がっているという話が出た。今日本では「貧困」というものがまたクローズアップされるようになってきている。

孔子はその人生の中で食べるものもろくにないような困窮した状況に陥ることが多々あった。そんな体験をした孔子だが富もうが貧しかろうがどんな状況になっても変わらない心持ち(理想)を保ってさえいれば、人生それなりに楽しめるという。

貧困は社会的に解決されねばならない問題だが、はるか昔から現在に至るまでなくならないのもまた事実。だから孔子の言葉を記憶の片隅に置いておく必要はあると思う。